第2章 進化の概念
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1. 現代生物学の進化理論
進化についての科学的説明の体系は、「素粒子物理学」などと同様、「進化生物学」という名の現代科学の一つの分野 進化とは何か
進化は色々なレベルで起こる
あるテントウムシの集団の中に、背中の斑点の数が少し多いものが現れるなど
背中の斑点の数を決めている遺伝子があり、その遺伝子に変化が起こって新しいタイプの遺伝子が出現し、それが集団内に増えていけば、そのためにテントウムシの新しい種ができたということにはならなくても、集団の遺伝子頻度は変化したことになる
大事なのは進化は遺伝子の変化であるということ
集団の個体の中に変わり者が現れたり、特定の色や模様が増えたりしても、それが遺伝子の変化に基づいたものでなければ、それは進化とは呼ばない
人間の親から子への知識の伝達は進化ではない
進化は何によって起こるのか
ダーウィンが最初に考えたメカニズムで、最も重要な過程
自然淘汰以外に進化を引き起こすメカニズムとしては、偶然によるものがある
例えば、青目・赤毛の遺伝子がそれほど多くない人間の集団から、青目・赤毛の人達が圧倒的多数を閉める移住者集団がある島の最初の定住者になると、島の住人において、遺伝子の頻度が変化したことになる
しばしば小集団で起こる確率的な過程による変化
進化全体に関する教科書
Futuyma (1998)
Ridley (1996)
Freeman & Herron (1998)
Patterson (1999)
Williams (1997)
長谷川眞理子(1999)
長谷川眞理子・三中・矢原(1999)
自然淘汰の働き
一般にほとんどの生物では、生き残る以上の子が生まれている
30歳で繁殖を開始するとし、1回に1頭の子を生み、長生きして90歳まで繁殖を続けると仮定する
ダーウィンの試算では、750年後には1900万頭のゾウが出現することになった
アシブトゴミムシという架空の昆虫集団を考える
前脚が太くて、ゴミを漁って食べる昆虫だとする
この集団の中には、他の虫たちよりも前脚が太い虫がいる
アシブトゴミムシはゴミを引っ張って巣まで運んで食べるので、前脚が太いと、より大きなゴミを運んでくることができる
生き残る確率が高くなる
前脚の太さは親から子へと遺伝するとする
足の太さを決める遺伝子があるということ
何世代も続くと、足の太い個体のほうが生き残る数が多くなる
これが自然淘汰による進化
ここまでの話の流れをまとめる
1. 生物には、生き残るよりも多くの子が生まれる
2. 生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる 3. 変異の中には、生存や繁殖に影響を及ぼすものがある
4. そのような変異の中には、親から子へ遺伝するものがある
この4つの条件が満たされていれば、生存や繁殖に有利な変異が集団の中に広まっていくことになる
この過程を自然淘汰と呼ぶ
自然淘汰の仕組みが考えられた当時は遺伝のしくみについては何もわかっていないも同然だった 表現型と遺伝子型
生物の個体が持っている形態や行動上の特徴
アシブトゴミムシの前脚の太さのようなもの
生理学的特徴、行動的特徴など、何でも構わない
形質が遺伝子によって支配されているとき、その形質のそれぞれの変異
アシブトゴミムシの前脚の太いタイプと細いタイプとは、前脚の太さという形質の二つの表現型
遺伝子型: 表現型を作り出しているもとである遺伝子のタイプ 表現型が違えば、必ずそれは遺伝子型が違うことによって引き起こされている
架空のアシブトゴミムシでは、太い前脚を作る遺伝子型がRで、細い前脚を作るような遺伝子型がGであるとする
個体の生存や繁殖に差異をもたらしている原因となるもの
生態学的な要因
アシブトゴミムシは、太い前脚が生存上有利に働いた
自然淘汰がどのように起こるのかは、その生物が暮らしている環境による
決定論的に絶対にどこでも有利というものはなく、あたりの状況による しかし、この架空のアシブトゴミムシが暮らしている状況と暮らし方では、確かに前脚が細いことよりも有利
ダーウィンが初めて自然淘汰の理論を考えついたころには、遺伝学は存在していなかったが、生態学というものもほとんど発達していなかった 環境が生物の暮らしにどのような影響を与えているか、生物と環境との関係を調べる学問である生態学は、1930年代以降急速に発展
生態学の父の一人であるイブリン・ハッチソンは、「生態学劇場の中で行われる、進化劇」という有名な言葉を残した 淘汰のプロセスに関する教科書・概説書
Bell (1997)
Williams (1992)
2. 適応と適応度
適応
自然淘汰の結果、その特定の環境においては、たしかに非常に有利な形質が発達してくる
ある特定の環境のもとで、ある特定の表現型が生存や繁殖の上で有利である結果、時間とともにそのような有利な形質を誰もが身につけるようになることを「適応が生じた」と呼び、そのような形質を適応的形質と呼ぶ 遺伝的浮動という過程を考える
集団の遺伝子頻度は変化するが、それは偶然の結果
生態学的条件において生存上有利であるわけではないので、適応ではない
定義上、自然淘汰のみが適応を生み出せることになる
自然淘汰は論理である
淘汰の研究の多くは、実際に生物の世界で4つの過程が満たされているかどうかを検知することに当てられてきた
鎌状赤血球貧血症
赤血球がひしゃげて鎌のような形になる
効率よく酸素を運ぶことができなくなり、貧血を起こす
鎌状赤血球を引き起こす遺伝子は一つで、それをsとする
それに対して正常なヘモグロビンを作る遺伝子をSとする
ヒトは有性生殖なので、遺伝子は父親からのものと母親からのものとのセットから成る SS、Ss、ssという遺伝子型の3つのタイプが生じる
これらに対応する表現型
SSは正常
ssはすべての赤血球が鎌状になってしまう結果、強度な貧血となり生後まもなく死んでしまう
Ssは赤血球の一部が鎌状になるため貧血は起きるが、致命的ではない
例えば、日本などの地域で鎌状赤血球遺伝子がどのような運命になるかを考える
ssは致命的なので極端に不利で、出現するそばから集団から覗かれていく
SsはSSに対して少し不利なので、長い時間の果てには消えていく
結局、鎌状赤血球遺伝子はなくなってしまう
日本などではまさにその通りになっている
ところが、前にも述べた通り、自然淘汰の有利不利は絶対的なものではなく、環境に依存している
マラリアが蔓延している熱帯地域では鎌状赤血球がそれほど不利ではない マラリアはヒトの赤血球の中に住み込んで暮らす
鎌状赤血球はマラリアのすみかとしても不適当
その結果、Ss型の人はSS型の人よりも、マラリアで死ぬ確率が低くなる
ss型は相変わらず致命的なので、集団から覗かれていくものの、マラリアが蔓延し、その死亡率が非常に高い地域では、Ss型がSS型よりも生存上有利になる結果、鎌状赤血球遺伝子は集団中にかなりの頻度で残されることになる
実際、赤道アフリカでは、Ss型の頻度が人口の40%にも達するところがある
これはまさに、マラリアが蔓延しているかどうかという生態学的条件によって、マラリアによる死亡という淘汰圧がかかるかどうかが決まり、それによって正常遺伝子と鎌状赤血球遺伝子の頻度に対して自然淘汰が働いている例
16世紀からの奴隷貿易その他により、この遺伝子はアメリカ大陸に持ち込まれ、各地に広がった
中央アメリカには未だにマラリア感染が重大な影響を及ぼしている地域があり、そのような場所ではSs型の頻度は20%ほどにのぼる
しかし北アメリカではマラリアは脅威ではないので、北アメリカ黒人におけるSs型の頻度は、現在では5%以下
ヒマラヤを渡るガン
インドガン(Anser indicus)はヒマラヤの上空、地上9000mものところを飛んで渡りをする 非常に薄い空気からでも効率よく酸素を吸収できねばならない
酸素を運ぶ役目をしているヘモグロビンの遺伝子に変化が起こり、他のガンカモ類ではプロリンというアミノ酸であるところが、アラニンに変化したため、事実、酸素を吸収する能力が非常に優れている だんだん高いところを渡って飛ぶようになったときに、この種のガンが持っている変異のうち、ヘモグロビンにこのような変化を持っていた変異は、非常に有利になったと考えられる
長い間繰り返されてきた結果、インドガンはどの個体でも、このタイプのヘモグロビンを持っている
自然淘汰が働いて適応が生み出されていく過程は、大型動物の場合、非常に長い時間を要するので、人間が生きている間にそれを検知することは難しい
それでも上に挙げた例以外にも多くの淘汰の実例が知られている
カタツムリの一種 Acmaea digitalis
殻の模様 - 鳥に寄る捕食
巻き貝の一種 Tegula funebralis
逃走行動 - タコによる捕食
シリアゲムシの一種 Harpobittacus nigriceps
前翅の長さ - とれる餌の大きさ and 雌による配偶者選び
魚、カジカの仲間 Cottus bairdi
雄のからだの大きさ - 巣の防衛
鳥、ダーウィンフィンチ Geospiza conirostris
くちばしの形 - 採食能力
野外における自然淘汰の働きについては、Endler(1986)、Grant(1998)、Weiner(1994)、Goldschmidt(1996)などを参照
適応度
架空のアシブトゴミムシの集団に前脚の太い個体が増えていったのは、生存率だけでなく、繁殖率も考慮に入れなければならない
たとえ早死してしまっても、その間に大量の子を残すことができれば増えていくことはできるから
アシブトゴミムシの集団に繁殖率も入れてみる
話を簡単にするために、この虫たちは単為生殖をすることにする
前脚の太いタイプ(遺伝子型R)は、生存率は高いものの、産む卵の数は3, 4個とする
前脚の細いタイプ(遺伝子型G)は、生存率は低くても一度に5個の卵を生むとする
それぞれのタイプについて「生存率×繁殖率」(純増加率)を計算し、集団全体の値で相対化したもの
上の仮定では、やはり前脚の太いタイプが増えていく
アシブトゴミムシの集団全体の生存率×繁殖率:$ 0.5 \times 4 = 2.0
前脚が太いタイプ
生存率×繁殖率:$ 0.66 \times 3.5 = 2.3
適応度: $ \frac{2.3}{2.0} = 1.15
前脚が細いタイプ
生存率×繁殖率: $ 0.33 \times 5 = 1.7
適応度: $ \frac{1.7}{2.0} = 0.85
私達が問題にしているのは、個々の個体の運命ではない
自然淘汰は集団内の遺伝子頻度の変化→注目しているのは個体ではなく遺伝子
遺伝子は個体という入れ物の中にはいっている
遺伝子の増減は、個体の増減を通して行われる
私達の目に見えるのは個体であり、測れるのはそれぞれの個体が残した子の数
そこで私達は、ある特定の遺伝子に注目し、「同じ遺伝子型を持った個体たち」の平均の適応度を測ることによって、その遺伝子の複製率を推定する
アシブトゴミムシの例で注目しているのは前脚の太さという形質
個体たちはそれぞれ、これ以外にも色々な形質を持っており、それらについても平均の適応度を測ることができる
そうすることで、どのような形質がとくに適応度を左右しているのかがわかる
個体が一生の間に残すことのできた子の数
実際に野外で生物を観察することによって得られるデータ
しばしば適応度の代替指標として用いる
私たちが進化を論じる上で重要なのは、あくまでも個体の繁殖成功度を通じて広がる、遺伝子の頻度であることに注意しておかねばならない 適応度の図り方その他については粕谷(1990)が参考になる
3. 進化をめぐるいくつかの誤解
自然淘汰に目的はない
遺伝的変異はどこからどうやって供給されるのかという、変異の源泉の問題
DNAは4つの遺伝子コード(A, T, G, C)のうち三つが1組になって特定のアミノ酸を指定し(例えば、C-A-Gはグルタミンに対応)、そのアミノ酸の配列によって、特定のタンパク質が作られる そしてDNAは、はめ込みパズルのようにできた精巧な方法で、その複製を作り出す
つまり、DNAはとは3文字で一つのアミノ酸を指定したものが長く連なったテープ状の情報源で、それが複製されて親から子へと伝えられる
しかし、いつでも完璧に同じものが複製されるわけではない
DNAは化学分子であり、紫外線や放射線、色々な化学物質等にさらされると、構造に変化が起きることがある すると、3文字情報が変化して、本来のものとは違うアミノ酸を指定することになる(例えば、C-A-G→C-C-Gでグリシンがあった場所にプロリンというアミノ酸が入ったタンパク質ができる) 上記のような原因によって、これまでになかったタイプの遺伝子が生じること
有性生殖によって子供が生産されるような生物では、精子と卵子を作る際に遺伝子の再編成が行われる 子供には親にはなかった組み合わせの遺伝子が生じることになる
DNAの複製は非常に正確で、読み間違いをあとで修復する装置も設けられているが、それでもときどきは読み間違いも生じる
このような様々な理由により、遺伝子には、つねに新しい変異が供給されている
ここで重要なのは供給されてくる変異には目的などなく、変異の方向はまったくのランダムであるとうこと
供給されてくる変異の中から、不利でないものだけが残され、その中でも生存や繁殖に有利なものが自然淘汰によって広まっていくことになる
アシブトゴミムシが、たとえ前脚が少し太いほうが有利であるような環境に住んでいたとしても、「少し足が太くなる」という変異が供給されてこなければ、そのような適応を身につけることはできない
もし、あらかじめ目的をもって生物が進化してくるのだったら、もっと便利な生き物がいたっていいはず
偶然に供給されてくる様々な変異の中から拾い出すだけでは、眼のような精巧な装置が作り出されることがあるのだろうか、という疑問がよく出される
キリスト教のある司教「自然淘汰によってクロクマからシロクマが生じるなんて信じられない」
個人的に信じられるかどうかは別として、実際に進化は起こっている
信じられないと感じることの主な理由は、供給されてくる変異の量と、自然淘汰が起こるために使うことのできる時間の長さとが、人間の想像を超えているからだろう
進化が働く時間は一般には何万年、何十万年、何百万年という単位
最近ではコンピュータのシミュレーションによる研究が進んでおり、再現が可能になった
進化は進歩ではない
進化が進歩だと誤解される最大の理由は、地球上に最初に現れたと目される生き物は、単細胞生物で、そこからだんだん複雑な形の生き物を経て、人間に至っているようにみえることだろう これはあながち間違いではない
単純な構造の生き物が最初に現れたのは当然で、生き物が無生物から作られたとき、いきなり複雑なものなど出てくるすべもなかった 進化は時間を経るに従って、より複雑なものが出現してくる可能性が高くなる
すべての生物は、そのとき存在していたものをもとに進化が働いて、新しい適応を獲得してきた
自然淘汰は必ずしもより複雑なものを生み出していくということはない
複雑な形が失われていく
洞窟などの暗黒条件下で眼を獲得していた生物が眼を失ってしまうことがある
一生洞窟で生活する生物に目がないのは、目が何の役にも立たないから
生物は全体として複雑なものになる方向へ向かっているわけでも、高い知能を持つ方向へ向かっているわけでもない
もとからあった生物を鋳型にして、新しい環境に進出した集団が、そのつど環境に応じた新しい適応を遂げていくだけ
最後に人間が出現
この系統の流れを見る限り、あとから出現したものほど、脳が大きくなっていく
しかし、だんだん知能が高くなるということが、すべての系統で見られるわけではない
ウマはウシよりもはるかに複雑な社会的相互作用を示すことが知られている
あと何百万年かたてば、チンパンジーはヒトになりますか?
多くの人は進化が梯子型モデルで進化を考えている
チンパンジーはヒトになる前の状態でとどまっていると考える
進化が梯子のように起こってきたと考える誤りと、高等な生物を生み出すように進歩してきたと考える誤り
進化はたえず生物の集団が枝分かれして起こってきた
現在地球上にいるアメーバは太古のアメーバのようなものとは違う
共通祖先を持っているだけ
チンパンジーとヒトの間にも共通の祖先がいた
チンパンジーの系統につながる集団と、ヒトの系統につながる集団とが分かれた
今のチンパンジーからヒトのようなものが出現してくるには、ヒトとチンパンジーの共通祖先からヒトが出現してくる舞台となったものと同じ、生体環境と自然淘汰の圧力とが働き、同じような遺伝子が供給されてこなければならない
進化はただの解釈ではない
進化は集団の遺伝子頻度の変化を指す
起こってきたことと、今も起こりつつあることは事実
問題は、集団の遺伝子頻度がどのようなプロセスで起こるか
遺伝子浮動などのランダムなプロセスと自然淘汰
ランダムなプロセスは適応を生み出さない
適応を生み出すプロセスとして、現在のところ、諸現象をもっともうまく説明しているのが自然淘汰の理論
自然淘汰の理論以外に、適応をうまく説明できる理論は、私たちはまだ手に入れていない
自然淘汰は演繹的なロジック
複製率が異なる複製体からなるシステムであれば、生物でなくても自然淘汰が起こるはず
コンピュータ・プログラムを作って互いに競争させると、コンピュータの内部で、プログラムどうしの自然淘汰が起こる
解釈がなんとでも説明できるものを指すのであれば、自然淘汰は解釈や比喩ではない
実証的な科学の理論、生物の遺伝的変異、その生物が暮らしている環境からの圧力、その生物が過去からしょってきている遺産を調べて、どのように自然淘汰が働いてきたのかを調べることができる
間違った解釈は間違いであることがわかって捨てられる
しかし、進化の話が解釈でとどまっている場合もある
要因のいくつかがまだよくわかっていないとき
仮説が建てられても、どの仮説が正しいのかを決定するような実証がなかなかできない
しかし、色々な傍証的証拠から、どの説は正しい可能性が高いか、どの説はありそうもないかを評定できるときもある
また、それでもできなくてどの仮説も同じ用に否定できない場合でも、それは、どんな解釈も可能だという意味ではない
この先どんな証拠を探せば、どの仮説が正しいかを決めることができるか、ということはわかるから
このことは、自然淘汰の理論だけでなく、すべての科学理論に共通のこと
科学の理論はどれも究極的には仮説なので、絶対に正しいと断言できるものなどない
非常に重要なことで、多くの科学者はそう認識しているが、一般には科学理論をよりドグマ的に捉える傾向がある 実証データがいつも手に入るというわけではない
測定技術の未熟や決定的事実の未発見
いくつかの仮説が並列することになるが、それらも解決していくことだろう
当座の間、正しい理論